昭和の闇「国鉄三大ミステリー」とは?戦後の不気味で怖い未解決事件たち
「国鉄三大ミステリー」とは、1949年(昭和24年)の夏に日本で起こった、未だ真相が謎に包まれている三つの事件の総称です。迷宮入りしたこれらの事件の内容や背景を見ていきましょう。
「国鉄三大ミステリー」という言葉を聞いたことがありますか?
これは1949年の夏に日本で起こった、未だ真相が謎に包まれている三つの事件の総称です。
どのような事件なのか、ご紹介しましょう。
国鉄とは「日本国有鉄道」が正式名称で、昭和24年の発足以来、日本の国有鉄道を運営していた組織のことを指します。
昭和62年に民営化され、事業は現在のJRグループなどに引き継がれていきます。
つまり、昔のJRグループということです。
昭和24年、まだ日本が連合国の支配下にいたころの事件。
当時国鉄の総裁に就任したばかりだった下山定則が通勤途中に失踪し、翌日死体で発見された事件です。
機関車による轢断は生前か死後か、遺体に大量付着していたヌカ油はなんなのか、激しい議論が沸き起こりました。
捜査一課は「自殺説」を主張し、警視庁捜査二課は「他殺説」を主張していましたが、最終的に警視庁は正式な捜査結果を発表しないまま、捜査を打ち切りました。
こちらも、昭和24年の事件。
日本国有鉄道中央本線三鷹駅構内にて、無人列車が暴走し、脱線転覆しながら線路沿いの商店街に突っ込んだ事件です。
6人の死亡者と、20人の負傷者が出た大事件として報道されました。
ストライキによる国家革命のため犯行が行われたとされていますが、犯人のアリバイや動機などに不明点が多く、国鉄労働組合員が11人起訴され、1人の非共産党員に死刑判決が下されました。
こちらも昭和24年の事件。
日本国有鉄道 東北線松川駅-金谷駅間において、何者かによって故意にレールが外され、列車が脱線した事件です。
乗務員3人が死亡しました。
国鉄労働組合員10人と、東芝松川工場労働組合員10人が起訴されましたが、アリバイがあったことから全員が無罪判決を下されました。
やがて真犯人から手紙が届くものの、弁護団や警察、マスコミの誰も真犯人を突き止めることが出来ませんでした。
当時国鉄は人員整理を行おうとしていたため、これに反発した国鉄の労働組合よる犯行という認識で、捜査が進められていました。
また、これらの事件には、GHQが人員整理をしやすくするために事件を起こし、国鉄の労働組合や共産党に罪をなすりつけたとする、いわゆる陰謀説もささやかれています。
三鷹事件では1人、死刑判決が下された人がいますが、アリバイや供述の変遷などが見られたことから冤罪ではないかと言われており、元死刑囚の遺族は再審申し立てをしています。
当時の国鉄では、1948から1951年にかけて、松川事件とよく似ている列車脱線事件が発生しています。
いずれも未解決で、国鉄三大ミステリーと関係があるのかどうかは明らかになっていません。
おわりに
国鉄三大ミステリーについてご紹介しました。
真相は闇の中ですが、松本清張さんが「日本の黒い霧」という小説にて、鋭く推理しています。
気になる方は、読んでみてはいかがでしょうか。
|
|
|
|