日本犯罪史に残る大量殺人ランキング!昭和だけじゃない、平成初期にも起きた怖い事件まとめ
日本犯罪史に残る大量殺人ランキング。安全な国として知られる日本でも、過去にこんな悲しい凄惨な事件が起こっていたのです。
日本は、とても安全で治安がよい国だと言われていますが、今までの歴史のなかで、痛ましい犯罪があったのも確かです。
今回は、それを「大量殺人」という観点から見ていきましょう。
日本の殺人事件のなかでも、とびぬけて被害者の数が多いのが、昭和23年に起きた「寿産院事件」でしょう。
諸説はあるものの、この事件の被害者の数は103人と言われていますが、正確な人数は判明していません。
それもすべて乳幼児でした。
貧しかった時代、小さな子どもを育てることが難しかった人たちに、「養子を望む人に子どもを渡す」として子どもを引き取り、その後殺していたという痛ましい事件です。
このような「貰い子殺人」は1900年代にもいくつか事例があり、いずれも被害者の数は数十人から百人超えと、夥しい。
子どもを引き取ったときに配給される物資を目当てにしたものであり、貧しく苦しかった時代の闇だと言えるでしょう。
「津山事件」は、かの有名な小説、金田一耕助シリーズ「八つ墓村」のモデルになったということで有名な殺人事件。
これは第二次世界大戦前の昭和13年に岡山県で起った事件であり、その村の人たち30人がたったの一晩で殺されたという恐ろしい事件です。
自分が差別され、馬鹿にされたと思い込んだ当時21歳だった犯人が、夜の闇のなかで大勢の人たちを殺し回った事件であり、最後は犯人の自殺で幕が引かれました。
なお、この事件の派生版として都市伝説「杉沢村」が生まれています。
- 杉沢村とは
日本地図から抹消された忘れられた村。
昭和初期、村人の青年が一夜にして全村人を殺害したという事件が「起きたとされている」。
青森県のどこかに今も現存しているとも言われていますが、いずれも発見した人物はいません。
※県内にある「杉沢」地名とは関係ありません。
21世紀になり、明るい未来があふれているように見えた平成13年の9月1日に、その火災はおきました。
歌舞伎町の「明星56ビル」というところが、火に包まれたのです。
3階から出火したこの火は、同フロアと4階に広がっていきました。
何よりも恐ろしかったのは、火そのものではなく「煙」。
形を持たないその煙が、多くの人を一酸化中毒に追いやり、死へと導きました。
この火災は、防火管理者講習でもしばしば取り上げられる事例でもあります。
この火災の恐ろしいところは、44人をも殺した火災であるにも関わらず、その原因がはっきり究明されていないところにあります。
3階から火が出たのは確かなのですが、その火が果たしてなんらかの事故で起こったものなのか、あるいは放火によるものなのかがまだわかっていないのです。
そのため、当然犯人も捕まっていません。
ただ、このビル自体にも問題がありました。
本来とるべき防火措置が十分にとられておらず、その結果として多くの人が亡くなってしまったのです。
まさに人災とでもいうべきものであり、2年後には、このビルの管理者から逮捕者が出ました。
世界のなかでも安全な国として知られる日本で、過去にこのような大量殺人事件があったと知って、衝撃を受けた方もいるのではないでしょうか。
被害者の方々のご冥福をお祈りいたします。
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Latte Columnist
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