ロシアのバレエ音楽にも貢献!チャイコフスキーの歴史と豆知識
こんにちは。ピアニストの小川瞳です。
今回はロシアを代表する作曲家、ピョートル・チャイコフスキーの特集です。
チャイコフスキーは劇的な音楽性で知られ、バレエ音楽の「白鳥の湖」や「眠れる森の美女」、「くるみ割り人形」などがとても有名です。
ピアノ協奏曲第1番や交響曲「悲愴」なども、クラシックの名曲として必ず取り上げられるほど、人気があります。
聞くものの心を震わすような、叙情的で美しい旋律、壮大な世界を築き上げるオーケストラの音楽など、チャイコフスキーの特色はクラシック音楽の個性そのものとも言えるでしょう。
チャイコフスキーは幼いころから音楽の才能を発揮していたのですが、経済的な事情で若い頃は音楽家になることを諦めていたそうです。
そこで法律学校を選び、一等書記官として法務省に勤めました。
しかし、20歳の時に法務省をやめて、ペテルブルク音楽院に入学したのです。
そこからチャイコフスキーの音楽人生は始まりました。
その後、モスクワ音楽院教師として活動するようになり、作曲活動も本格化し数多くの大作、名作を相次いで発表するようになるのです。
未亡人フォン・メック夫人がパトロンとなり、援助を得ることになったので音楽院を止めて、作曲家として自立しました。
フォン・メック夫人とは、チャイコフスキーの作品をこよなく愛した女性で、チャイコフスキーに対して多額な援助をしていました。
14年間、文通のみの交際が続いたようで、チャイコフスキーの手紙760通、メック夫人の手紙451通が残されています。
チャイコフスキーの作品は、常に私生活との関連が大きいとも言われています。
とても感性豊かな人物だったので、色々な心理が作品に反映しているのでしょう。
名曲として名高い「ピアノ協奏曲第一番」には、強い愛の想いが込められています。
この曲が作曲されたのは、最愛の恋人が自殺した直後でした。
youtube引用
チャイコフスキーは同性愛者で、その恋人である青年は、19歳という若さで他界してしまったのです。
チャイコフスキーにはこういった内容の日記が残っています。
また、その後アントニナ・イワノヴナ嬢と結婚をしたものの失敗し、モスクワ川で自殺を図るほどに追い詰められていたと言います。
このときバレエ「白鳥の湖」が完成し、その後はヨーロッパ各地を転々としていました。
ピアノ曲では「四季」が代表曲です。
この作品は出版社からの依頼により作曲されたそうです。
月刊誌「ヌヴェリスト」の為に、1月から12月までそれぞれの月に題材をとったピアノ曲を作曲してほしい、と依頼され毎月雑誌に掲載されていったのです。
youtube引用
ロシアの色が濃く反映された抒情的な名曲から成る組曲で、四季を感じることができます。
クラシック音楽初心者に、最適ともいわれるチャイコフスキー。
そのキャッチーな音楽は、ロシア民謡などの民族色と西洋音楽との融合を、見事に果たした結果であり、チャイコフスキーの稀有な才能のあらわれです。
あまりクラシック音楽に馴染みがない方も、まずはチャイコフスキーから楽しんでみていかがでしょうか。
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ピアニストとして東京や茨城を中心に、ソロの演奏会やオーケストラとの共演など、数多くの演奏活動を行っております。
音楽心理士の資格も持ち、トークコンサートやコンクールの審査員もつとめております。
また長年に渡り執筆活動も並行して行っており、小説を3作品出版しております。
こちらのサイトでは、幼少時よりピアノを学び続け、クラシック音楽の世界に身を置く私ならではのコラムを執筆できたら、と思います。
よろしくお願い致します。
小川瞳 公式ホームページ https://ogawahitomi.amebaownd.com/
小川瞳作曲 笑顔のBGM
https://youtu.be/Qrt-stZPTb8
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