イタリア産地ワインの歴史物語!ローマ時代から伝わる醸造技術と飲み方の文化
こんにちは、ソムリエ&ライセンスガイドの千代薫です。
ワインの歴史=人類の歴史なので、正確なワインの誕生日は分かりませんが、一体、いつ頃ワインが生まれたと思いますか?
今回はイタリアワインの誕生についてお話ししたいと思います。
葡萄は、約1万年前には、既に存在していたと考えられています。
葡萄を潰して出来たジュースが、自然発酵を起こして生まれた原始時代のワイン。
それらが飲まれ始めたのが、約8000年から1万年前になると推定できます。
醸造技術を用いてワインを楽しんだとされる発祥地は、メソポタミア(現在のイラクの一部)。
そこに住んでいたシュメール人による、世界最古のワイン作りの文献に「栽培葡萄」の文字が残っています。
また、古王国時代前(紀元前2850年頃)のエジプトでも、酒壷の表面にイルプ=ワインと刻まれているのです。
どちらかが先で伝搬したのか、同時に考えられたのかは定かではありません。
しかし興味深い事に、いずれの土地でも葡萄の樹を、生命の樹と呼んでいます。
イタリアでのワインの醸造は、遡ること青銅器時代。
高い醸造技術は、ギリシャ又は北アフリカのカルタゴから、南イタリアに伝搬したと考えられています。
ギリシャ人達は、イタリアのことを既に、notria=ワインの土地と呼んでいました。
紀元前10〜8世紀に、小アジアから現在の中部イタリア(トスカーナ、ウンブリア)に移住して来たエトルリア人も、素晴らしいワインを地中海、フランスまで輸出していた形跡があります。
しかし、紀元前4世紀頃には、ローマに合併され、エトルリア人は消えてしまいました。
そのため、建築技術等と共に、醸造技術もローマ人が吸収したと考えられています。
ローマの拡大と共に、ヨーロッパ全土にワインも広がっていきます。
しかし、手放しにワインの恩恵に預かっていたギリシャ人達とは異なり、ローマ人はワインの悪の面を警戒。
ロムルス(英雄とされるローマの建国者)による飲酒制限令も発布され、男性も35歳迄は飲めず、女性の飲酒は更に厳しく取り締まられていました。
女性が飲酒により羽目を外した場合には、最悪死刑。
宗教行事のために定められた祝日に、乳として飲むことは許されていました。
妻の飲酒による離婚の最後の記録は、紀元前194年に残されています。
当初、ワインをそのまま飲用するのは医薬用でした。
ギリシャ風にお湯割り、水割り、スパイス(サフラン、シナモン、ローズマリー等)や蜂蜜、小麦粉を加えたり、熟成の為に海水を加えていたようです。
それが、ローマ人の文化の向上、味覚の変化から、次第にワインをそのまま消費する様になっていきます。
そして紀元前121年は、ローマのプレミアクリュ、奇跡のヴィンテージ「Opimiana」と呼ばれるワインが醸造されました。
このワイン、なんと150年後にも美味しく飲まれた、との記述が残っているのです。
中世に入ってからも、ワインの飲み方や使われ方はローマ時代と大差がなく、ローマ帝国拡大と共に広がったワインのたしなみ方が、近代まで続いたことになります。
ところが、近代に入ると地理的に優位なフランスに、ワインのバトンが渡ります。
それが、現代に至るまでヨーロッパを席巻することになったのです。
1816年に、フランスのワイン商がこう書き残しています。
"イタリアは、欧州1のワインを作れるのに、醸造技術の低さから最悪のワインを作っている"
この見識は、残念ながら的を得ていていました。
1800年代末には、イタリアでも醸造学校が創設されます。
しかし、20世紀中盤に入っても、大量生産の不味いワインを作り続け、最高級フランスワインの原料として大量に輸出されたりもしていました。
しかし、知識はなくとも、食卓に欠かせないワインに対するイタリア人の意識の変化も見られます。
ソムリエコースに参加する人は年々増え、スーパーのワインコーナーは拡大。
以前なら、エノテカ(酒屋)でしか扱っていなかった様なワインも入手可能になりました。
歴史的、地理的要因から、イタリアには400種類以上の葡萄の地場品種があり、他の国のワインにはない多様性を生み出しています。
現在は、イタリア全土で品質は向上。
土地や地場品種にこだわりを持って、ワインを作る生産者達が殆どです。
古くて新しい、天候に左右されるやすい飲み物。
そんな、何とも人間的なイタリアワインを一緒に楽しんでみませんか?
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