日本酒の歴史と文化。お酒は巫女が噛んで作っていた!? -前編- (1/2)
日本酒は、世界に誇れる国酒です。
しかし日本酒の消費量は昭和50年頃を境に減少し、平成23年には、ピーク時(昭和50年頃)の40%程の消費量にまで落ち込んでしまいました。
消費量が落ち込んだ背景には、若者の日本酒離れ、食生活の多様化などがあります。
しかし、ここ数年、海外での日本酒ブームの影響を受け、国内でも日本酒が見直され始めているのです。
日本文化の1つでもある日本酒。
その歴史と文化について、簡単に見ていきたいと思います。
お酒が米を主体として造られるようになったのは、縄文時代以降、弥生時代にかけて水稲農耕が定着した後の事。
この時期に、日本酒の起源があると言えます。
当時は、加熱した穀物を口でよく噛み、唾液の酵素(ジアスターゼ)で糖化、野生酵母によって発酵させる口噛みという方法を用いていました。
この口噛みの酒は「大隅国風土記」等に明記されていますが、この作業を行うのは巫女に限られていました。
そのことを考えると、酒造りの原点は女性であったと言えるかもしれません。
酒を造ることを「醸す」といいますが、この語源は「噛む」によると言われています。
九州、近畿での酒造りがその始りだと考えられています。
大和時代になると、酒造りも徐々に国内に広まっていったとうことが「古事記(こじき)」や「日本書記」などの文献から分かります。
古事記とは、日本最古の歴史書。
日本書紀とは、奈良時代に成立した日本の歴史書。(Wikipedia引用)
島根県の出雲地方に伝わる「ヤマタノオロチ伝説」という有名な神話があります。
その、ヤマタノオロチを退治する為に使われたお酒が「八塩折の酒(やしおおりのさけ)」と言われるもの。
このお酒は、何度も繰り返し醸した非常に濃いお酒だったそうです。
原料が米だったのかは不明ですが、日本酒の源流の1つであるのは確かだと思います。
奈良時代(710年~)に入ると、米麹による醸造法が普及するようになります。
朝廷のための酒の醸造体制が整えられ、酒造技術が一段と進んでいきました。
その後、平安時代(~1192年)になると「米」「麹」「水」で酒を仕込む方法や、お燗に関することなどが「延喜式(えんぎしき)」に記述されています。
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日本酒利き酒師 純米狂@takezoです。
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