オニツカタイガーの歴史とは?実はアシックスと深い関係が!
日本発!スニーカーブランド、オニツカタイガーの歴史についてご紹介します。実はアシックスが展開するブランドの一つなんです!
歴史あるスポーツシューズ・スニーカーの名ブランド「オニツカタイガー」。
オニツカタイガーの靴の側面にある模様を見たことがありますか・・・?
「なんかデザインが似てるなぁ~」と思う人もいるはずです。
実は、「オニツカタイガー」は「アシックス(asics)」の展開するブランドの一つなんです!
今回は、「アシックス(asics)」が展開する「オニツカタイガー」の歴史について、徹底解説していきます。
instagramやfacebook、twitterなどのSNSやwebページで検索すると、様々な情報が出てきたので、それをもとにお伝えしていきますね。
オニツカタイガーのシューズ、スニーカーはもちろん、会社の歴史がわかる内容となっていますので、ぜひ最後までご覧ください。
目次
〜オニツカタイガーの歴史 〜
・すべてはバスケットシューズから始まった
・オニツカタイガーの誕生
・オニツカタイガーの飛躍
・経営危機から乗り越え今がある
〜オニツカタイガーのイチ推しモデル〜
・TIGER CORSAIR(タイガー・コルセア)
・MEXICO66(メキシコ66)
・SERRANO(セラーノ)
・SAMSARA LO(サムサラ ロー)
・NIPPON MADEシリーズ
オニツカタイガーを語るうえで欠かせないのは、その歴史です。
オニツカタイガーには一体どのような歴史があるか、解説していきます。
1949年3月、兵庫県の靴の卸問屋である鬼塚商会から、オニツカタイガー(アシックス)の歴史は始まります。
スポーツ用の靴作りを目標に修行に通い、靴作りのノウハウを習得した創業者である”鬼塚喜八郎”氏が、同年9月に鬼塚株式会社を設立し、兵庫県の高校と共同でバスケットシューズの開発をスタート。
これが後に日本で初めての国産バスケットシューズとなりました。
このバスケットシューズを売るため、全国各地の大会へ営業に回りながら、選手やコーチの生の声を取り入れつつ改良を重ねていき、バスケットシューズの知名度を上げていきました。
オニツカタイガーがなぜ、そのようなブランド名になったのか、解説していきたいと思います。
オニツカは創業者の鬼塚氏の苗字からきていることは想像できますが、なぜタイガーなのか。
実は当時の工場長が、バスケットボール用スニーカー製造時に、シャレで靴裏に虎マークを入れたことを、鬼塚喜八郎自身が気に入ってトレードマークとなり、ブランド名を虎印と名付けたのが始まりでした。
しかし、すでに商標権が他社にあったので、創業者の鬼塚氏の苗字を取ってONITSUKA TIGERとなりました。
1953年からマラソン用スニーカーの開発を開始し、徐々に人気を上げてきたオニツカタイガーのランニングシューズは、1956年開催のメルボルンオリンピックで、日本の選手たちのトレーニングシューズとして使用されるまでになりました。
そして、1961年に毎日マラソンに出場するため来日した、後にオリンピックのマラソン種目で連覇を達成する事になる裸足のランナー”アベベ・ビキラ(Abebe Bikila)”を、鬼塚氏は滞在先のホテルまで表敬訪問を行いました。
その際、「裸足と同じくらい軽い靴を提供するから試してくれ」とオニツカタイガーのシューズを履いて出場してもらうよう交渉したとのことです。
なんとアベベ・ビキラは、オニツカタイガーのシューズを履いてその大会で優勝します!
世界で活躍するスポーツ選手がきっかけとなり、オニツカタイガーは高く評価されるようになります。
ナイキ(NIKE)の前身のブルーリボンスポーツ(BRS)は、1966年頃にアメリカでオニツカタイガーのスニーカーを輸入し始め、高い売り上げを得るなど、その影響は計り知れないものとなったのです。
また嬉しいことに、1964年10月の東京オリンピックでは、オニツカタイガーのシューズを履いた日本選手が、合計46個のメダルを獲得します。
日本選手の活躍によりオニツカタイガーは、さらにその名を世界に広めていき、ひとつの時代を形成しました。
今ではスポーツ面だけではなく、アシックスの1ブランドとして、オニツカタイガーのスニーカーやアパレルなど、ファッションの分野でも頭角を出していますね。
※1977年に他の会社と合併して株式会社アシックスが誕生
国内でも海外でも世界的に有名になったオニツカタイガー(アシックス)ですが、実は良いことだけでなく、大変な時期もあったようです。
1964年にオニツカタイガーは株式上場しますが、まもなく経営危機に陥ります。
しかし、協力企業の各社に手形の支払を遅らせてもらったことで、その危機を無事に乗り越えたのです。
後に、この恩義は一生忘れないと鬼塚氏は語っています。
鬼塚氏は「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉に影響を受けたことによって、オニツカタイガー(アシックス)の経営理念は「スポーツを通じて青少年の健全な育成」となっています。
その言葉のとおり、オニツカタイガーは戦後の日本の復興に、スポーツを通して一役を買ったことでしょう。
また、オニツカタイガー(アシックス)の経営は「オニツカ式キリモリ商法」と呼ばれます。
それは手広く経営展開していくのではなく、市場でまだ手がつけられていない隙間を見つけ、そこを集中し掘り下げていくとのことです。
オニツカタイガーは、当初スポーツシューズに特化した歴史があるため、そのスポーツシューズやスニーカーなど靴の製造に対し、その高い技術に評価が集まり、その名を世界に知らしめることになりました。
ここでオニツカタイガーの中でも人気商品であるスニーカーから、イチ推しモデルをご紹介します!
もし気になれば履いてみるのもいいんじゃないでしょうか?
1970年代に発売されたトレーニングシューズで、当時ジョギングブームの先駆けとなったモデル。
今でも多くの日本人、そしてヨーロッパ地域でファッションアイテムとして強い人気を誇るスニーカーです。
今で言うアシックスストライプ(当時はメキシコラインと呼ばれた)がサイドに使われた、
MEXICO66(メキシコ66)と呼ばれるトレーニング用のスニーカー。
その細身のフォルムと踵のフラップは、オニツカタイガーらしいディテールを持っており、
オニツカタイガーのスニーカーの中でも、ファッションアイテムとして確固たる地位を持つモデル。
1970年代に開発された陸上スパイクシューズから、インスピレーションを受けたオリジナルモデルです。
薄底スタイルなので軽く、クッション性が良いので歩きやすいと評価が高い1足とのこと。
1980年代のジョギングシューズをベースに開発されたモデル。
見た目的には、一見オニツカタイガーと分かりづらいですが、タン部分にオニツカタイガーのロゴがあります。
アッパーは天然皮革と人工皮革になっている方法をとっているので、シックな印象に仕上げられています。
このシーリーズは、日本生まれのブランドであるオニツカタイガーが、日本のものづくりの素晴らしさを、
世界に発信していくことを目的として、2008年からスタートしたシリーズとのこと。
素材や染め、縫製などの細かな部分まで日本製にこだわっているモデルです。
会社が合併されアシックスとなっても、ブランド名として「オニツカタイガー」が残っているなんて、味わい深いものがありますね。
今度、靴屋さんに行ったらオニツカタイガーを探してみようと思いました。
会社、企業の歴史は深い...!
もしこの記事でオニツカタイガーが気になったら、あなたのスニーカーコレクションの1つに加えてみてはいかがでしょうか?!
東京にもオニツカタイガーを販売している店舗ありますよ!
今回は世界に愛されるブランド「オニツカタイガー」の歴史や人気モデルスニーカーの紹介でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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