インド発祥「ヨーガ(ヨガ)」の歴史と文献を読み解く -ヴェーダ聖典・ウパニシャッド・ヨーガスートラを分かりやすく解説-
ヨーガの歴史を紐解くと、インドにそのルーツを辿ることができます。
以前は「ヨーガのルーツは」と聞くと「インドですよね。」と言われましたが、現代だと「え、アメリカですか。」と言われることもあります。
なにしろアメリカではヨーガが盛んで、さまざまなヨーガの種類が生み出されているからです。
1920年代にモヘンジョ・ダロ遺跡やハラッパーのインダス文明が発見されたことにより、その歴史は一気に4500年以上前まで遡りました。
諸説あることから、ヨーガの歴史は5000年ともいわれていますが、インダス文明は解明されていない部分が多いことから、私は4500年以上前という講義を人前ではしています。
モヘンジョ・ダロの遺跡からヨーガの行者の姿のようなものが刻まれた印章が発見されたことから、その当時からヨーガ的なことが行われていたと考えられ、それが後のヨーガに繋がったとも言われています
その後、インドにアーリア人が入り込んできました。
アーリアという意味ですが「高貴な」「神聖な」という意味があります。
彼らは遊牧民で、インドにいる先住民を征服していきました。
アーリア人はバラモン教を信仰し、これがのちのヒンドー教へと繋がっていきます。
要はヒンドー教の前身がバラモン教ということです。
このときの宗教の中心は祭祀(さいし)主義です。祭祀主義は自然現象の中に神が宿るという考え方のことです。
紀元前10世紀ごろにヴェーダ聖典が編纂されました。
ヴェーダ聖典の中心的部分「リグ・ヴェーダ」「ヤジュル・ヴェーダ」「サーマ・ヴェーダ」「アタルヴァ・ヴェーダ」も成立しました。
ヴェーダ聖典は多神教の世界です。
インドラ神、太陽神スーリヤなどが登場しており、現代ヨーガのアーサナ(坐法)でも「スーリヤ・ナマスカーラ(太陽礼拝)」と言われる基本ポーズが存在します。
この時代から、現代ヨーガへと繋がる考え方があったのだと思われます。
ヨーガという言葉が出てくるのがウパニシャッド(奥義書)の文献です。
ウパニシャッドは1つではなく実際には200を超えています。
『ブリハット・アーラヌヤカ』『チャーンドギア』『カウシータキ』は初期の文献だとされ、中期のウパニシャッドに『カタ・ウパニシャッド』があります。
このウパニシャッドの中に、はっきりヨーガという言葉が出てきています。
奔放な諸器官を『馬』に例えて、それを制御する手綱のは『思考力』、馬車は『身体』、乗る人を『アートマン(自我)』、御者を『理性』として記述されています。
手綱を御者がしっかり制御することによって、馬が勝手に走って行かないようにすること。
このような状態がヨーガであると記述されています。
サーンキャ哲学では物質と精神の二元論を説いており、ヨーガの体系について理論的に記されています。
仏教の興隆などを経てヨーガの体系が完成したのは、5世紀を過ぎた頃です。
パタンジャリの編集により、「ヨーガスートラ」と呼ばれるヨーガ思想が記載された基本文献が誕生しました。
ヨーガについて「ヨーガは三昧であり、こころの状態である」「ヨーガは心を滅することである」など記述されています。
この経典にはいくつかの注釈があります。
「ヨーガスートラ」でヨーガを詳しく勉強したい場合は、日本人の佐保田鶴治先生が解釈している「ヨーガスートラ」を読むと、なお一層理解が深まることでしょう。
サーンキャ哲学をベースにしており、瞑想を中心として、そこに坐法と、呼吸法が伴うラージャヨガに関しての説明がされています。
高みに到達するための8つのシステム「八支則(はっしそく/アシュタンガ・ヨーガ)」により悟りを得る方法が書かれていますが、それはあまりにも難しかったため、そこで現代にも通じるヨーガ「ハタヨーガ」が登場するわけです。
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