世界的スポーツブランドとして知られる、「アディダス」と「プーマ」。
実は、この二つのブランドの創業者は、兄弟って知ってましたか?
今や世界的なブランドへと上り詰めた両社ですが、その裏には、壮絶な「兄弟喧嘩」の歴史があるんです。
本記事では、その兄弟喧嘩の真相に迫っていきます!
アディダスとプーマは、ドイツのヘルツォーゲンアウラハ出身のダスラー兄弟によって、スタートしたブランドです。
アディダスの創業者は、弟の「アドルフ・ダスラー」、プーマの創業者は、兄の「ルドルフ・ダスラー」です。
アディダスのブランド名は、弟の愛称である”アディ”と、名字の”ダスラー”を略したもの。
一方、プーマのブランド名は、南アメリカ大陸のほぼ全域と、北アメリカ大陸の広域に生息している、大型肉食性哺乳類の「ピューマ」が、由来となっているようです。
それぞれのブランドで、大成功を収めたダスラー兄弟。
実は、ビジネスを始めた当初は、二人で一緒に「ダスラー兄弟商会」という会社を経営していたんです。
しかし、壮絶な兄弟げんかの末に、二人は別々の道を歩むことに。
仲良しだった二人に、一体、何があったのでしょうか。
「ダスラー兄弟商会」は、1920年、弟のアドルフ・ダスラーが、母の経営するランドリー店の一角を使って、靴の製造業をスタートしたことが始まりです。
のちに、兄も経営に加わるようになって、二人で仲良く経営をしていました。
業績は好調で、「ダスラー兄弟商会」から販売された靴は、瞬く間にドイツのスポーツマンの間で、人気の商品に。
さらに、同社のシューズを履いた選手が、オリンピックで金メダルを獲得したことで、知名度が一気に急上昇したのです。
順調に進んでいた二人のビジネス。
しかし、それとは反対に、二人の関係性は悪くなっていったのです。
最終的には、修復が不可能なまでに悪化。
兄弟の不仲が原因で「ダスラー兄弟商会」が、解体される事態にまで発展してしまったのです。
二人の関係が崩れてしまった背景には、一体何があったのでしょうか。
喧嘩の原因には、「第二次世界大戦」が大きく関わっているようです。
その当時のドイツは、ヒトラー政権のもと国内総動員体制。
第二次世界大戦が始まると、兄のルドルフは兵役されてしまいますが、弟のアドルフは職務を理由に徴兵を免除されたのです。
これがきっかけで、徐々に、二人の間には確執が生まれ、兄が徴兵から戻ってきた頃には、修復できないほどになってしまいました。
その後、兄のルドルフが持ち株を全て弟へ売却し、プーマを創業。
弟のアドルフが、「ダスラー兄弟商会」を「アディダス」に社名変更して、リスタートしました。
しかし、この喧嘩は、二人の間だけではとどまらず、町の人々にも大きな影響を与えました。
町の人々までもが、相手が“アディダス派”か、“プーマ派”か、お互いに意識するようになったのです。
状況は悪化し、相手の足元をチェックしてからでないと、会話がスタートできないほどに。
その様子から、当時は「首を傾げた町」と呼ばれていたようです。
結局その後も、二人は仲直りはできないまま、天国へ。
さらに、彼らの息子の代になっても、喧嘩は続いていたようです。
気になる「アディダス」と「プーマ」の現在ですが、友好な関係を築けているようです。
両者とも、今はダスラー家との繋がりはないようで、それぞれ世界的なスポーツブランドとして、進化を続けています。
続々と最新のアイテムが登場していますので、今後も「アディダス」と「プーマ」から、目が離せないでしょう!
いかがでしたか。
世界的なスポーツブランド「アディダス」と「プーマ」の創業者が兄弟で、壮絶な喧嘩の末に誕生したとは、驚きですよね。
現在は、いい関係が築けているようで、安心しました!
今後も、「アディダス」と「プーマ」が仲良く、発展していくといいですね!
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